神殿の白いタイルの上に座禅を組んで浮かび上がるのは、元神様、元大魔王だ。
彼の高まった気で神殿自体が振動する。
それを見守るのは元神様と神殿の守り主だった。
ピッコロは天下一武道会に向けて気を高める内面の修行をしていた。同時に脳裏で模擬戦を想定し、相手の打つ手読み、封じる。力でサイヤ人に勝つことはもはやできないことはわかっていた。ピッコロが出来ることといえば、先を読むこと、戦略を練ることだった。
架空の対戦相手は、悟空とベジータ。悟飯のことは考えていない。それは彼のことが眼中にないということではなく、できれば戦いたくない。その気持ちが先立ったからだ。
ふいに、思考が乱された。消えたはずの不可解な感情、それが沸き起こり、ピッコロの心に纏わりつく。
「はっつ!」
気を一気に高める。
しかし、それが消えることはなかった。
ピッコロは目を閉じ、ゆっくりと床に降り立つ。
「休憩をとる」
そうデンデとミスターポポに告げ、彼らの傍にをすり抜けて、建物に入っていく。向かうのは自室だ。足早に廊下を歩き、自室のドアを開ける。中に入るとピッコロは椅子に深く腰をかけた。
その口から出るのは珍しく溜息。
彼は自分の心に再び巣食い始めた、あの不可解な感情を持て余していた。
数日前、遠見の術で、弟子の様子を見るとミスターサタンの娘と親しげに話をしているのが見えた。何か妨げるような気がして、ピッコロは4日間、愛弟子に連絡を取るのを控えた。
すると、真夜中に心に響いた悟飯の声。デンデとミスターポポが就寝し、寝静まった神殿で、ピッコロが瞑想していると聞こえてきた。
下界の人間は寝静まっている時間だ。ピッコロは瞑想を解くとすぐに遠見の術を使った。弟子は丘の上で空を見上げていた。
小言を言うと、いつものような素直な返事ではなく、苦しげにピッコロを非難する言葉を吐いた。
『ピッコロさん。どうして連絡してくれなかったんですか?』
弟子の言葉に師匠の彼は直ぐに返事ができなかった。
愛弟子が自分を待っていることをピッコロは知っていた。
しかし 彼は自分の中の不可解な感情が表に噴き出してしまうのが嫌で、連絡を取らなかった。
弟子に気付かれないように、気持ちを制御して接した。冷静であることを彼は心がけた。
それはビーデルという娘のことを聞かされても、一緒だった。
『俺はずっとお前の父親代わりにようなものだった。だからそう思うのだろう』
悟飯に『僕が一番大好きなのはピッコロさんなんです』、そう言われ返した言葉。
彼の感情は、そのようなものに違いなかった。
ピッコロ自身、悟飯に対して同様の気持ちを持っている。それは性別がある地球人なら母性と呼ばれるものだろうとナメック星人のピッコロは理解した。男女の間にある恋愛感情ではなく、我が子に対する感情と同じ性質のもの、ピッコロはそう思っていた。
だから、彼は弟子にそう返事をしたのだ。
それから数日経つが、彼の苦しみは続いている。
弟子の傍にいる若い娘。彼女を見ていると沸き起こる感情。黒く、ねっとりした感情。
悪の心はまだ心のどこかにあるはずだった。神と同化しても、それはピッコロから悪の心を追い出すまでには至っていないはずだ。
悪の心なのか。しかし、悟飯に会うまでに抱えていた悪の心とは異質なものに思えていた。
ピッコロは目を閉じる。そして自分に巣食う不可解な感情に向き合った。
「ビーデルさん、いいよ。その調子」
地上から悟飯が声をかける。するとビーデルはにこっと笑い、ふわりと草原の上に降り立った。自宅周辺にある見晴らしのいい草原で、彼は彼女に舞空術を教えていた。
「悟飯くんも一緒に飛びましょう」
彼女は彼の手をとり、上空に誘う。
「え、ビーデルさん!」
戸惑いながらも彼女には勝てずに、悟飯はビーデルと共に軽やかに空を飛んだ。
そこまで見て、ピッコロは下界から視線をはずした。
胸に渦巻くのは黒いねっとりとしたもの。
(やはり、これは俺に残った悪の心か?)
日増しに酷くなるようで、ピッコロは自分自身がそのうち悪に支配されるのではないかと危惧する。
大魔王の分身で息子だった自分、しかし今は異なる。ネイル、神と同化したナメック星人だ。
「ピッコロさん」
静かな声が彼を呼んだ。現地球の神はじっとピッコロを見つめていた。
「それは悪の心ではないと思います。地球で言う、多分嫉妬という感情じゃないでしょうか?」
「嫉妬?!」
デンデから聞かされた言葉にピッコロは目を剥く。
嫉妬という感情。神であった記憶もあるので、下界で何度か見かけたことがあった光景が浮かぶ。それは夫婦や恋人同士の間で起きる恋愛感情を伴ったある種の感情。女が男の浮気に怒り狂う場面などが脳裏をよぎる。
「あ、ありえん。そんなわけがない」
悟飯は弟子であり、それ以外ではなかった。またナメック星人である自分にそんな感情があるとは思えなかった。
デンデの前でありながら、ピッコロは動揺したまま、神殿の縁をぶつぶつ言いながら歩きまわる。
「ピッコロさん。嫉妬は恋愛感情に関係なくても発生する感情みたいです。だから」
――そんなに心配しなくても大丈夫です。
神様はそう続けたのだが、ピッコロに届くことはなかった。いや、言葉は届かなくてもナメック星人同士、伝わっていたかもしれない。
ピッコロはデンデの言葉が終わる前に、神殿から姿を消していた。これ以上動揺する自分を見せるのが恥ずかしく、どこか一人になれるところを探して、飛び出していた。
「……言わなければよかったかな」
問うような、独り言のような、つぶやきをデンデは漏らす。
数日前からピッコロが思い悩んでいるのが伝わってきた。しかし的外れな悩みだったので、デンデは思わず口を出してしまったのだ。
しばらく戻って来ないかもしれない。その時は悟飯にでも説得してもらおうと、小さくてもしっかりしてる神様は思った。